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センゴク一統記 Vol3 大綱数百本 Vol4 舟の上にて [ゲーム,アニメ,漫画]

遠江国
田植えの時期にも関わらず
公文の命で農民は綱を造らせられていた。

公文は奉行 小栗吉忠の命で綱造りを
依頼されていたが詳しい理由があかされないまま
徳川の大事業と言われるだけだった。

織田信長が甲州征伐から安土に帰る道中
徳川家康は信長の為
道を広げ 橋を新設
一夜の陣所も贅をほどこし
兵舎を新設

しかしあまりの馳走に家康 家臣も
疑問を問いかけるが

家康は
このことが徳川の行末を決めると一蹴

農民が造っていた綱も信長が天竜川を
渡るため舟同士を綱でつなぎ板を敷き
橋を造るためだった。

ついに 天竜川に信長現る

信長は家康の歓待に対して
黄金五十枚 兵糧八千俵を
配分してといわれる。

遠江国 今切にて
信長と家康 面会

九州 島津家はすでに信長の手中にあり
島津家と大友家が連合し
四国は織田信孝を筆頭に丹羽五郎左
で制圧し
多方面から一気に毛利を攻め込むと。

そして6月には信長 自ら出陣

しかし信長には心配事が・・

民が質素倹約に勤しみ 銭をため込み
銭の流通が止まると 転覆すると。

解説 

公文 村で農民から年貢を徴収する責任者
馳走 客などをもてなす事 今回の場合 信長
   
遠江 今切の渡し

過去の津波などで浜名湖と太平洋が繋がった場所で
東海道五十三次 今切の渡しとして知られています。

甲州征伐後 帰郷中の織田信長をもてなす為
絢爛豪華な船で家康とともに渡ったとされます。

現在 今切の渡しが再現され
舞阪~新居で航行されています。

問い合わせ先はこちら
静岡県浜松市西区舞阪町弁天島3775−2
弁天島遊船組合

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