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本能寺の変 もうひとつの物語 [本能寺の変]

七夕ということで
織田信忠と松姫との悲恋のお話です。

信忠は織田信長の長男 松姫は武田信玄の六女

永禄11年(1568年) 武田家と織田家の同盟の為
信忠(11歳)松姫(7歳)で婚約が成立

松姫も他の姫と同様政略結婚の
対象となってしまいます。

しかし政略結婚にかかわらず書状のやりとりを
行っているうちに恋が芽生えたとされている。

しかし 元亀3年(1572年)武田家と織田家の
同盟破棄に伴い 信忠と松姫の婚約も破棄。
元々政略結婚なので普通はこれで終わってしまうが・・

信忠と松姫は違っていた。

翌年 天正元年(1573年)松姫 父 信玄 道半ばで死去
勝頼が当主となる。
その後 松姫は兄 仁科五郎盛信の居城 高遠城に移り住む。

当時 最強を誇っていた武田勢であったが
天正3年(1575年)長篠の戦いで敗北を喫すると
しだいに武田勢の勢力が弱まり

天正10年(1582年)2月 織田 徳川 などによる
甲州征伐が開始される。
織田軍の大将は 元婚約者 信忠

せまりくる織田軍に松姫はなに思う

仁科五郎盛信は
松姫を含む姫や従者を甲斐へ避難させる。

信忠は盛信に和睦を提案するが盛信は
拒否 決戦に。
3月2日 ついに高遠城 落城
松姫を避難させた 盛信自刃

高遠城を奪われた
勝頼は後退を余儀なくされ天目山へ・・
しかし3月11日 勝頼自刃 武田家滅亡
松姫も勝頼と共にしていたら天目山で
生涯を終えたことがあろう。

しかし松姫らは勝頼とは別行動で
残党狩りを逃れる為
東へ 東へ

武蔵国 八王子 上恩方 金照庵に落ち延びる
その後 信忠は松姫が生き延びていることを知り
信忠は松姫に〝迎えたい〝と使者を送るのでした。

松姫は信忠の元へ向かう
「ついに信忠様に会える」心弾ませていたであろう。

しかしその道中 6月2日 本能寺の変で
信忠自刃の知らせを受けついに会うことは叶わなかった。

信忠も 信長の天下統一が果たせず
松姫に会うことも叶わず 無念であったろう。

松姫はその後 心源院(八王子市)に出家
信松尼として
寺子屋で近所の子供たちに読み書きを教えたり
旧武田家臣の心の支えになったと言われ
地元民にも慕われてたとされています。

その後 信松院(八王子市)を開基 
元和2年(1616年)56歳 独身を貫き通し生涯を閉じる

信松尼の【信】は父 信玄を思ってのことか
それとも  会うことが叶わなかった信忠を思ってのことか

松姫 ゆかりの地

高遠城
長野県伊那市高遠町東高遠2295

心源院 松姫出家
東京都八王子市下恩方町1970

信松院 松姫墓所
東京都八王子市台町3-18-28

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