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本能寺の変 に新事実! 「四国説」を裏付ける史料発見 [本能寺の変]

岡山市 林原美術館と岡山県立博物館によると

土佐の武将 長宗我部元親が四国の領土をめぐり
本能寺の変 以前 織田信長の命令に従う
意向を示した書状が見つかったことを
発表した。

美術館によると室町幕府の将軍 足利義輝
の側近 石谷家に関わる古文書
「石谷家文書」の中にあり 47点が
巻物になっていた。

書状は天正10年5月21日付け
元親が明智光秀の家臣 斉藤利三に
充てたもの など。

当時 長宗我部元親と織田信長は友好関係
にあったものの信長が方針を転換。
信長は元親に土佐以外の占領地からの
撤退を要求。

今回 斉藤利三が元親宛てに送った書状も
発見されており
天正10年1月11日付け
利三は「信長の要求に従うのが長宗我部家のためになる」
と 元親に助言

これに対して
元親は利三に
天正10年5月21日付
「阿波の国中心部 緒城からは退いたことを信長に伝えてほしい」
と返答し 信長の命令に従うことで信長との
武力衝突を回避しようしたことがはじめてわかった。

県立博物館によると
明智光秀の勢力は元親と関係が深く
恭順の意を示した元親を攻めようとする
信長を止めようとして本能寺の変に
つながった可能性があるという。

それにしても土佐以外の領地を手放せなければ
ならないほど信長は脅威だったということか。

本能寺の変については「光秀野望説」「怨恨説」
などあるが
光秀が信長の四国攻めを回避しようとする
「四国説」を裏付ける史料しとして
注目を集めそうだ。

書状は7月19日から 岡山市 林原美術館で公開
その後 高知県立歴史民俗史料館,岡山県立博物館でも
公開予定

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